
「責任」という言葉は、一見すると単純な概念のように見えますが、実際には多層的な意味を内包しています。特に、「制度的に明確に規定できる責任」と「制度を超えた次元で引き受ける責任」という、少なくとも二つの異なる層が存在します。
前者は、意思決定に関する責任であり、法律や契約といった制度の枠組みにおいて、説明責任や帰属可能性と整合するものです。この種の責任は理論的にも制度設計的にも扱いやすいため、経済学や法学などでは主としてこの枠組みが前提とされています。
こうした見方に立てば、すべての責任は制度化の過程で包摂されていくものであり、現時点で制度に回収されていない責任とは、あくまで将来的に制度的に定義されるべき未整備の領域にすぎないと考えることもできなくはありません。
しかしながら、制度とは本質的に抽象化・標準化の技術であり、具体的な状況や関係性に即した動機や感情、文脈依存的な判断を切り捨てることで初めて成立するものです。そのため、制度を精緻に設計すればするほど、制度によって捉えきれない責任の残余が、かえって顕著になります。こうした制度的網目からすり抜けるような責任領域の存在は、単に制度の不備や未整備という問題ではなく、制度の論理そのものが必然的に生成してしまう外部性に関わる問題です。
このような制度では捉えきれない責任、すなわち後者の責任は、制度や意思決定の範囲を超えた、個人が「私が引き受ける」と覚悟するような実存的・倫理的な次元に属します。ここでは、外部から割り当てられるのではなく、当事者が状況全体を引き受けるという姿勢そのものが問題となります。これは、自他の境界が流動化する「自他融解領域」において生じるものであり、明確な主観による意思決定という近代的な枠組みとは整合しません。
しかしながら、この後者の責任について語ろうとすると、多くの場合、聞き手はそれを前者の「意思決定責任」として再解釈してしまいがちです。その結果、本来制度の枠に収まらない問題が、制度内の論理にすり替えられ、語りの意図が正確に伝わらなくなります。制度の内在的な論理によって非制度的責任が吸収・誤解されることで、語る側と受け取る側とのあいだに齟齬が生じ、しばしば不毛なやりとりが繰り返されることになります。
こうしたねじれは、不完備契約理論において直面する根本的困難とも深く関わっています。不完備契約理論は、現実の契約があらゆる事態をあらかじめ定義し尽くすことは不可能であるという前提に立ちます。したがって、契約に明示されない要素や裁量の余地にどのように対応するかが主要な課題となります。しかしその際に立ち現れるのが、制度によって明示的に責任を割り当てることができない、いわば「制度の網をすり抜ける責任領域」です。
この領域では、制度をどれほど精緻に設計しても、倫理や関係性といった制度以前の次元が決定的に浮かび上がってきます。形式化された制度の網が細かくなればなるほど、その網目からすり抜ける実存的責任が浮上しやすくなるという逆説が存在します。ここで求められるのは、ルール化された責任の分配ではなく、「この場において私が引き受ける」という個人的な覚悟や使命感です。これは、制度の論理では測れない次元における倫理的決断として自発的に発生するものです。
このような倫理的責任を強調することは、しばしば違法・不当な稼働や不平等な負担の正当化につながるのではないかという懸念を招くかもしれません。確かに、制度が未整備な部分を個人の善意や覚悟に依存することは避けるべきです。しかしここで問題にしているのは、制度と倫理をどちらか一方に還元することではなく、制度の限界を正しく認識し、その限界を超えてなお共同体が持続するために必要な「引き受け」の次元が確かに存在するという事実です。むしろ、制度が充実し形式的分担が明確化されればされるほど、最後に残る余白の部分を支える主体的な倫理の重みが際立つのです。
また、「制度/非制度」の区別は、静的な分類ではなく、制度とその外部との接触面を可視化するための分析上の補助線にすぎません。実際には両者は絶えず浸透しあっており、制度の運用の現場においても、形式的ルールと状況的な判断とが交差しています。この交差こそが、制度の埋め得ない領域における責任の問題を浮かび上がらせる場となります。
現実の職場や家庭といった具体的な共同体の場面においては、最終的にはこの制度では測れない「引き受け」の態度が共同体の存続を支えています。人は、明確な責任分界の外側においても、ときに自発的に責任を引き受けようとします。このような姿勢が「器の大きさ」と称されるのは、それが制度の論理を超えた、倫理的・存在論的な次元における無名の「引き受け」として共同体を根底から支えているからです。
仮にこの「器」が人々から失われてしまえば、どれほど精緻な制度が整っていたとしても、集団はその基礎を維持することができなくなるでしょう。制度は確かに必要不可欠な枠組みですが、制度によって形式化され得ない責任の領域があるという事実を見落としてはなりません。そしてそのような責任を引き受けようとする倫理的態度こそが、制度の機能を補完し、共同体を根底から支えているのです。